ありんこ書房

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恐怖の理屈を知るために。小中千昭「恐怖の作法」を読んで

      2016/08/17

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「ホラー」という要素の理屈を知るための資料として非常に有用な本の感想です。
御機嫌よう、蟻坂(@4risaka)です。

本書を読もうとした動機

いきなり自分語りからですが。

弊ブログ、サイドバーに「不穏な曲、書きます」という生意気なバナー広告を自分で作って貼っているわけですが、
そもそも「不穏」って何だ?というところが非常に感覚に依存しておりまして、たとえば変なリズムなのか、音色なのか、不協和音を使うことなのか、というところを直感的には理解していますが
どうにも自分の中で体系化できていないという課題があります。
体系化できていないと、ある時点でネタが頭打ちしてマンネリ化する可能性が高く、いまいち強力な個性として成立しにくいように思えます。

感覚に依存している場合の強力なフィードバックは、その感覚を理屈で整頓することで、次に使えるツールとして整備することです。音楽理論については、そのような学習を試してみました。(関連:何年かDTMやってる自分が「聴くだけ楽典入門」で理論を学び直して見えてきた2つのこと)

というわけで、「不穏」を「不穏」たらしめる要素、すなわち「恐怖」というパーツについて、ホラー映画などの作法から学ぶべく、その分野の権威である小中千昭さんの本「恐怖の作法」を読んでみることにしました。

「小中理論」という体系

この本の文章を築くコアになる部分は、氏の考える「小中理論」と呼ばれるいくつかの要点であります。
もともと2冊の本をまとめた+書きおろし1章という構成なのですが、この「小中理論」については前半でまとめられており、これだけでも十分に読む価値があります(というか、後半は読み物としての側面が強い印象でした)。

全部書くのはアレなので、わたしが特に重要だと考えた点を適当にかいつまんで共有してみようと思います。

恐怖とは段取りである

脚本における要素として「恐怖とは段取りである」という点が書かれてありました。これ、いわれてみると確かにしっくりきます。

具体的には、例えば幽霊が存在していたとして、その正体がなんであるか?また怪奇現象の原因がいったいどういう因縁にあるか?という要素は重要ではないと断じています。
恐怖の本質的なところは「なんだかわからないものを本能的に恐れる」という漠然としたモノであり、それに因果や説明をつけてしまうと恐怖でなくなる、ナンセンスといった論法です。

みなさんも、なんでもないのに照明のついていない廊下の暗闇が怖かったりすることがありませんか。
あれは自分の頭のなかに出現した「漠然とした恐怖」という概念そのものであるはずです。具体的な霊や怪異の存在でもありませんし、別に部屋でなんか事件が起こったわけでもありませんよね。
そう考えると、確かに「恐怖を与えるパーツ」として幽霊やらなんやらは使えますが、目的には成り得ないことが感覚的に理解できます。

「段取り」というのは、その幽霊などの「パーツ」に辿り着くまでの構成、流れであり、恐怖はそこにあるという意味ですね。

情報の合致は恐ろしい

これも「よくある」パターンなんですが最近あまり見かけない気がします。本書で扱われる「ファンダメンタル(原理主義的)なホラー」を取り扱う上では外せない要素です。

具体的にいえばアレです、怪奇現象が起こったときに、主人公と友人みんなが確認したというやつです。一人だけなら「思い違いかぁ」というだけで終わるのですが、これに客観的な事実を付加することにより確固たる恐怖が具現化するというわけですね。

観念的・具体的要素を排除する

さきほどの「情報の合致」から考えると、より客観的な情報、たとえば「変な発信者から携帯電話に着信が……」みたいなのを連想しがちですが、「小中理論」では具体的な要素を排する方向で説明が為されていて、これは言われてみればしっくりきますが、なるほど意外といえば意外に感じました。



幽霊の「見た目」はありえない

どうも「小中理論」的には幽霊が具体的に人物の前に現れて力を行使したり、カメラが幽霊の主観視点になったりすることは禁忌らしいです。

というのは、これは恐怖というより「幽霊 – 人物 の関係性を観客が眺める」という場面の演出になってしまい、それは「サスペンス」であるためとのことです。確かにドキドキしますし、幽霊の見た目が恐ろしかったらこっちも驚いたりしますが、それは「恐怖」じゃなくて「緊張」とか「おどかし」というものですよね。なんか安易に使いそうですがそう考えると納得がいきます。

サウンドに落とし込んでみると、突発的に不協和音のピアノをじゃーんと鳴らすのはたぶんコレに該当します。驚きますがなんか恐怖を感じる前に次行っちゃいますよね。それじゃ駄目な気がしました。

「小中理論」で提唱されるのはもっと原初的な恐怖感、あのジメジメした空気感という演出による「正体不明感」にウェイトを置いています。ここをなんとか表現的にも意識できたら強いかもなぁ、と思いました。

幽霊は喋らない

これも一貫していますね。喋ると「具体的に存在してる」ことになっちゃうのでアウト、といったところでしょうか。

またこれは映画的な話なのですが、やはり喋ってしまうと人間的になってしまい、観客から見ると「役者だ」という意識が出てしまうようです。「小中理論」における幽霊は、幽霊そのものを表現することにあるので、人間的な要素は一切排除する方に傾くようです。

リアリティの問題

リアリティの問題、つまり「マジもんの心霊現象です感」を出すためのポイントについても言及が為されていました。

我々素人がやりがちなんですが、「血だらけになって死んでいた!」みたいなのをやっちゃうとそりゃ事件だってことになります。警察が動きます。日時と場所が記録されます。
でも現実にそんな事件が起こった記録が存在しません。ということは虚構です。アウト。という流れのようです。

これ虚構でいいじゃん映画なんだし!とわたしは考えたのですが、そうではないのが「小中理論」、映画を終わった後にも這いよる恐怖を観覧した人に背負わせる意図があるんですね。なるほど感服です。


さて、 これらを音楽に落としこむにはどうすれば良いでしょう?個人的には「単体では難しいかも」といった感じを今のところ抱いています。
なにしろ音楽って今のエンターテイメントではエッセンスとしての働きが大きいので、例えば映像にBGMとして付加するとか、ゲームの演出で鳴らしたりとか、主になる媒体があって、それを10倍にも20倍にも効果を上げる役割としての側面が大きいです。
それはそれで良いのですが、なんというか音楽単体で「夢に出てきそう」みたいなあの漠然とした恐怖感をさっと付与できたら面白そうですね。

後半は読み物かな

さて、ここまでの話は本書の前半で取り扱った内容が主となります。

後半では、ネットにある怪談の考察であったり、小中氏が関わってきた作品の話がメインとなります。これらを「小中理論」に当てはめた時の分析が記載されていますので、「ケーススタディとしての小中理論」と捉えるのが良いでしょう。

個人的には読み物としては面白かったです。が、前半にあるような「体系的なホラーのエッセンスを学び取る」というような目的で読んだ場合、多く得るものはなかったように感じられます。

ひとつ驚いたのは、四谷怪談の「お岩さん」という怨霊は完全に虚構だったという話です。ゼロから出てきたフィクションでも、怨霊として確固たる地位(?)を築きあげて、恐怖のイコンとして君臨しているというのは面白いと思います。
これに限らず「ヤバい存在」というのは今の日本にもそれなりに存在しますが、結局恐怖という感情が脳によって創りだされる以上、根本的な存在は人間の共通認識の中に生まれるものなのかもしれません。

ほら、「神は信仰から生まれる」と言いますし。ヤバい怨霊も大勢の人が概念として捉えると人を呪う存在として猛威を振るい始める……みたいな。そう考えると幽霊も面白いですね(?)。

「小中理論」から外れた作品

さて、「具体的に存在してはならない」というのをキーにして本質的な恐怖の感情、「ファンダメンタルなホラー」を扱う「小中理論」。
現代のホラー作品でこれから大きく外れたものがあるのをご存知でしょうか。

そう、『呪怨』です。

この作品、笑っちゃうくらい具体的な姿かたちを持った怨霊が色んな所で出現します。お母さんの伽椰子さんに至っては物質的な手段(たしか刃物)を使って殺害行為を働くパターンがあります。今までのホラーでは考えられない荒唐無稽さです。

本書では『呪怨』の話も触れてあります。というか『呪怨』の清水崇監督との対談が掲載されています。

小中 まあ『呪怨』を見れば、幽霊の見た目は有るわ、幽霊ナメは有るわ、青いライトガンガン当ててるわ(笑)、我々が「やっちゃならん」って言ってた事を全部やってるものね(笑)。
清水 ええ(笑)、高橋さんも「有り得ない、絶対やってはいけない」って言ってて。
小中 でも、十分以上に怖いものになっている。怖いだけじゃない。何か異様なテンションの高さは、怖さを超えておかしみにまでいってしまっているっていうのが、『呪怨』の独自性だね。

あ、いいんだ。とわたし少々拍子抜け。いや、正確には『呪怨』の「小中理論」からの外れ方は先に説明したとおり常軌を逸している外れ方をしているので、ここまで行けば独自性と言えてしまうわけです。
また、小中氏も言及されていますが「何か異様なテンションの高さ」が偶発的に恐怖を超えたなんか凄まじい物を生み出してしまったようです。

その一方で、スプラッター的な、いわゆる「ゴア表現」については非常に慎重な作品であり、これが日本的な怖さの保存に一役買ったのかもしれませんね。まぁヒットした作品なので後出しジャンケンでいくらでも言えますけど。

なんにせよ『呪怨』は異質であることがこの本の話から見て取れますので、下手に具体的な存在などを取り扱うのは危険な冒険になりそうです。もっとファンダメンタル寄りで。

おわりに

という具合に、前半における「小中理論」というのが日本のホラーを語る上で外せない「ファンダメンタルなホラー」の取り扱いにおいて大きな収穫になることは間違いありませんでした。また本記事では割愛しますが、後半にこれを更にブラッシュアップした「小中理論2.0」というものについても説明があります。こちらも多いに役に立ちます。

さて、では不穏な曲ってなんだ?という元々の考え方に戻りますが、今のところ確実に言えるのは安易な不穏ネタの突っ込みはナンセンスであるということでしょうか。
例えば不協和音とか不気味な音色とか色々思いつくんですが、多分コレは誰でも思いつくわけで、せっかくホラーの文法を知ったわけですし、「ファンダメンタルなホラー」のためのその場その場の演出というものを冷静に考える必要がありそうです。

というのは、例えばサーカステントで流れてそうなマイナーキーのアコーディオンアルペジオ一つとっても「なんか怖い」って感じることがあるわけで、BGMなどのパーツとして考えるならば演出・表現上の目的に合わせてかっちり嵌められるポイントがあるはずです(何にでも不協和音使えばいいって話じゃない)。

まだアウトプットまでちゃんとこぎつけられてませんが、この本の内容が血となり肉となれば嬉しいですねえ。

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