六弦アリス「前衛歌劇団 イデア座 ~人殺しヴィレッジ~ side; AWAKE」を聴きました

六弦アリスの新譜レビューです。ここまでシリーズ全作レビューしてきました。
御機嫌よう、蟻坂(@4risaka)です。
今まで、弊ブログでは、六弦アリスの「人殺しヴィレッジ」シリーズについてレビューを書き連ねてきました。
なるだけ聞いたままに、感受性の赴くままに考察とか感想を書いてきたつもりです。音楽レビューですが六弦アリスは総合表現的な面があるので、そういう視点でのレビューになっています。
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本記事で紹介します「side: AWAKE」は、これまでの2作品で語られてきた物語が収束をしていくような展開となっており、
非常に「ニヤリ」とさせられる仕上がりになっておりましたので、やはり今回も曲別と考察に分けてレビューしなければ、と思い書くことにしました。
目次
各曲の感想
今回は6曲、そのうち1曲はSEなので歌モノは5曲構成のシンプルなものになっております。
作曲の六弦A助さんは今回「疾走感」をしっかり芸術として形にすることを意識したそうで、3曲めの「RUN AWAY」にはその特徴が顕著に現れています。
という具合に楽曲としていつもの六弦アリス節炸裂ですので、順番に簡単にレビューしていきましょう。
Tr.1: side:Awake
オープニングトラックです。怪しいサウンドスケープに何かを引きずるような音と、六弦アリスおなじみのこれまた怪しいストリングスが流れる短いトラックです。
「side; Awake」のトラック名の通り、何かの目覚めを予感させるような導入となっております。
Tr.2: 或る殉教者の審問
Tr. 1からなめらかにストリングスの伴奏に入り、ボーカルの櫻井アンナさんの美しいコーラスで幕を上げる荘厳なタイトルです。
さりげなく裏メロが細かいギターリフが印象的です。
その他、「Bメロで静かになって助奏から表拍2ビートのキャッチーなサビ」という六弦アリス節全開のリードトラックであります。
六弦アリスはここのところ芸術性の高みを目指しているところがありますが、こういうツボの付き方もしっかり押さえてくるので本当にニクいです。
速弾き一辺倒でないメロディアスなギターソロも必聴です。
さて、歌詞についてですが、軽く引用しましょう。
博士、あなたは間違っていた
人の個性は誰にも奪えない
あの日あなたが奪ったものは
人の生きる意思だ
最初の「人殺しヴィレッジ」や2作目「side; idea」で博士がとった行動に対するアンサーソングとしての機能を、この曲は持っています。
さて、リスナーの貴方、1作目や2作目で博士の行動にどういう心理を抱きましたか。同情でしょうか。憐れみでしょうか。「side; idea」で描かれた復讐劇にカタルシスを覚えたりもしたのではないでしょうか。
それを踏まえた上でこの「回答」を考えてみましょう。わたしはニヤリとしました(過去レビュー参照)。
キャッチーな音楽という外殻の中にとんでもないものを突きつけてくるリードトラック、これはまだ序の口です。次に行きましょう。
Tr.3: RUN AWAY
Tr. 2でアンサーソングという形で外向けに刃を突きつけるような強烈なメッセージ性を持たせてきましたが、Tr. 3では一転内向きな歌詞になります。
それとは裏腹に六弦アリス特有の超疾走ナンバーになっていまして、ストリングスの怪しいリフにスラッシーなギターが重なるロックオペラ的世界観爆発の曲です。
Aメロの寂しげなメロディと。サビの「ただ走って、走って、走って、走り続けて」の前向きにも聞こえるメロディラインとのコントラストが印象的です。
この曲こそA助さんの探していた「芸術性 × 疾走感」のひとつのカタチなのでしょう。走るということの表現と早いテンポをうまく調和させることができています。
(個人的には「割と思いつくモチーフ」なので、もうちょっとひねりがあるのかなと思ってましたが)
ただテーマ的にはこれ「全力疾走ではない」とわたしは思うんですよね。
以下の歌詞からなんとなく読み取れます。
だけど生きて、生きて、生きて、生き続けて
僕は真実を目指して
いつかこれが正しいと思えるように
今は走り続けている
よく「人生は旅だ」とか言ってたりしますが、これわたしはマラソンのように持久的に前を向いて前進し続けることが本質だと思います。止まるな、振り返るな、前を向け、と。
主人公のアンドロイド少年は自我を主張することで村から排斥されましたが、その一方でその信念を持って自分の道を歩くことができています。
なので、曲名こそ「RUN AWAY」(逃亡する)ですが、これは「村から走って逃げ出す」という意味ではなく「自分の人生を生きる」ことのメタファなんじゃないかなーと思ったりしました。
逃亡するべきは村という具体的なものではなく無関心・無感情・無自我な者で形成されたコミュニティその全てである、と。
ニーチェの言葉を借りるならば「力への意志」ですよね。
Tr.4: Awakening Children
ボーカルの櫻井アンナさん作詞ですが恐ろしいくらいこのTr. 4の位置に調和しています。
オープニングにピアノによる切ないメロディがあり、アンナさんの美しい声によるサビからスタートするまたまたニクい演出の曲です。
RUN AWAYから続いてスピードチューンです。ギターも激しく刻みます。メロディは全体的にキャッチーというより切なめ。
歌詞はまた外向的・批判的な内容になりますが、そこに感じられるのは怒りというより悲しみを感じました。
一方で、サビの終わりのメロディの上昇に力強さを感じます。「内に秘める情熱」のようなものが伝わってきます。
よくある「単なるネガティブな歌詞」ではなく、哲学的なテーマに秘めた鋭さというものを、これまでのトラックにも増して内包しています。
歌詞は非常に批判的です。以下のフレーズをどう捉えるでしょう?
幼い日の心が見た この世界は
歪んでいたのに
孤独を恐れ 意志を無くし
生きるということは死と同じ
楽曲として単に頭を振って聴く分にはいいんですよ。でもそろそろわかると思います、
いつものように物語音楽のたぐいだと思って聴いてるとこのあたりで急にリスナーに牙を向き始めるんですよ。
こんな恐ろしい同人音楽サークルが今まであったでしょうか?
多くの人に当てはまるであろうグロテスクな現実を、直視できない日々をありありと「聴きやすい音楽」のフィルターを通じて投げかけてきます。
目をそらしてはいけません、次に行きましょう。
Tr.5: 正義ノ名ノモトニ
さあやってきました本作品のキラーチューン。
イントロはエフェクトの掛かったピアノ系の音色、伴奏はエレキではなくアコギなのですが、ここまでテーマ性を意識して聴いているリスナーであれば、
この曲は紛れもなくキラーチューンであることがわかるのではないでしょうか。文字通りの意味で。
サビにとんでもなく強烈なキラーフレーズと悲痛に叫ぶようなアンナさんの歌い方、キャッチーなメロディが全て調和して恐ろしい響きを作り上げています。
言い切れるか?
自らの意思が自らのものだと
言い切れるか?
掲げた正義は本当に正しいか
アンサーソングとしての側面で判断するならば、博士の行ったことも含めての正義に対する審判であります。
前作「side; idea」のレビューで「憤怒と相対する美徳は正義だ」という考察を書きましたが、大体合ってたみたいで非常に愉快です。
一方で、メタ的な視点で判断するならば集団心理、またそのコミュニティに根付く価値感や正義に対する真正面からの強烈な批判です。
そうそう、正義と言えば宗教ですね(ちょっときわどいテーマですが)。
中世はこれの影響により大きく進歩が遅れたと言われており、「正義が機能を誤って取り返しのつかない過ちを犯した例」であるといえます。
この頃に残っていためちゃくちゃな風習は今日でも「魔女狩り」という言葉になって生きています。
さて、あなたはきっと魔女狩りの伝承自体を酷いものだと考えると思いますが、では今この瞬間似たようなことをしていないと保証できるでしょうか。わたしは、言い切れる自信がありません。
この辺から完全に描かれる物語は人殺しヴィレッジの外側に飛び出ます。
そう、この世界を見てしまった全ての人間が巻き込まれ始めます。わたしは前レビューで「群像劇だ」と考察したのですが、その色がより一層強くなっています。
ある程度感受性の高い方であれば心臓を掴まれたような気持ちになるのではないでしょうか。
とまぁ、3分弱の短い曲なんですが非常に密度が高い仕上がりとなっております。
Tr.6: 遺された箱船
最後もまたまたアッパーチューン、意味深なタイトルのTR.6です。
ギターリフが過去の曲で聴いたフレーズな気がするのですが気の所為でしょうか。
テーマ的にはもう人殺しヴィレッジ一切関係なくなって、旧約聖書の「創世記」のノアの方舟の逸話を連想させるものとなっています。
曲調は今までの六弦アリスらしいストリングスと歪んだギターによるロック・オペラ的仕上がりです。
(これまでのトラックもそうですが)ギターソロもなく、割とコンパクトに収まっている代わりにテーマ性の重さが過去最高です。
メロディーのキャッチーさはTr.2やTr.5に譲っている感じなのですが、「最高に効果がある音は無音である」とはよく言ったもので、
最後の最後にありますフレーズ
彼らは命あるものとして、最高の幸福を手に入れた
彼らは運命によって裁かれた
それは、死だ。
で一瞬無音になるのが引き立て方として最上級です。今までの六弦アリスでありそうでなかったものではないでしょうか。
2番のAメロで再び「博士、あなたは間違っていた」というフレーズが出てくるのも印象的です。
さて、原典の「創世記」では、ノアは「正しい人」でした。そして、正しい人は方舟に動物のつがいを乗せ、洪水から守ったというものでした。
ところがこの曲ではこのようなフレーズが存在します。
その箱船に乗った者は皆、罪人だ
ひとり残らず灰となれ
その箱船に乗った者は皆、罪人だ
生き残れば神を称するだろう
どうも「創世記」の話とは対象が異なる気がしてなりません。ミスリードを誘っているというか。
この曲では「炎によって死を得た」というように読み取れますし、全く逸話の内容と符号しません。何より「方舟」ではなく「箱船」です。
ブックレットやCDレーベルにも「炎」が大量にあしらわれています。
うーん、まだちょっと解釈が上手く出来ていません。炎とともに消え去った「彼ら」は明らかに村人ではなくてもっとメタな存在に見えます。
炎……「燔祭(焼き尽くす献げ物)」は関係ありますかね?旧約聖書の読み込みが要るかもしれません。
ただ少なくとも、元になった伝承における「神と共に歩んだ正しき者、ノア」もまた単なるひとつの正義であるという解釈を匂わせているのは確かです。
アンサーソングと「第四の壁」
「side; AWAKE」では、2つの視点から今までの話の総括を描いていると考察します。
- 過去作品の答え合わせ(アンサーソング)
- 第四の壁
アンサーソングとしての「side; AWAKE」
過去作品はまさかの博士は間違えていましたというアプローチ。
確かにアンドロイドの村は年齢と性別が別れているのに「個性がない」と定義されている矛盾があったりしましたし、「side; idea」が明らかに何かおかしいのは考察をすればわかる通りです。
では何が間違えていたのか?博士の行動としては個人的な正義のために暴力を行使したことであるのは言うまでもありません。
一方で、博士の息子が殺された事件もまた暴力によるものであり、村人たちの正義もそこには確かにあったように思えます。
第四の壁としての「side; AWAKE」
で、「そういうことでした」で終わらないのが六弦アリス、ここで第四の壁が登場します。
演劇の舞台の上を想像して下さい。三方を壁に囲まれており、それらの壁には舞台装置が色々付いていて登場人物はそれらを認識し、演技をします。
コレに対し、舞台の正面、観客席側には壁がありません。そして、その「存在しない壁」に対して語りかける=舞台の演者なのに観客の存在を認識しているというメタ要素を「第四の壁」と呼びます。
後半のトラックはもう完全にこの「第四の壁」でして、博士の起こした行動をじゃあそこで聴いてるあんたはどうだといきなり向き直ってメッセージをぶつけてくる仕掛けになっています。
それは正義のあり方であったり、集団心理に冒されてなんとなく生きる姿であったり、生き方や価値感についてリスナー自身に思考を求めるような描き方になっています。
そこに登場人物は居ません。ただキャッチーでメロディアスな音楽の内面から何かが刃を突き立ててきます。
おわりに
「人殺しヴィレッジ」は全部レビューしてきましたが今回も素晴らしい表現力にびっくりです。
ご自身が「最高傑作」と評していた「side; idea」ほどのカタルシスは得られていませんが、Tr. 6に何らかの秘密が隠れている気がします。
なんというかあれなんですよね、「汝の敵を愛せよ」を受容できなかったかつての人達が起こした「僧侶的価値評価」へのパラダイムシフトと、
それを現代の今日まで引きずっている我々に対する鮮烈なメッセージのように思えてなりません。「道徳の系譜」は読んでおいたほうがより理解しやすいかもしれません(「道徳の系譜」が難しいというツッコミは置いといて)。
どんなにテーマ性が重くなったり内面的になってもかっこいい音楽であることを据え置いて、メジャーデビューしようが関係なく我が道を行く六弦アリス。
まさに「RUN AWAY」の歌詞にあるような生き方を体現する素晴らしいユニットだと思います。
まだ聴いていない方は是非とも以下のリンクから購入しましょう。
【とらのあなWebSite】前衛歌劇団 イデア座 ~人殺しヴィレッジ~ side;AWAKE
公式サイトは以下の通りです。
六弦アリス Official Web 【前衛歌劇団 イデア座 ~人殺しヴィレッジ~ side;AWAKE】