ありんこ書房

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芸術だってビジネスセンスが必要。村上隆「芸術起業論」を読みました

      2016/05/16

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「そりゃそーだよね」と思っていたことなのですが、芸術だってビジネスのセンスが要ります。
美術の観点から述べられたエッセイですが、音楽表現においても本質的に同じことがいえるように思えました。
本記事はわたしが身をおいている場所の関係で同人音楽を絡めていますが、「創作をまじめに考える」という話で読んで頂ければ幸いです。
御機嫌よう、蟻坂(@4risaka)です。

芸術家は資本主義の外にいるような特殊な生き物ではない

見出しのようなことを常々考えていました。

なんというか、芸術家、この場合広義的にバンドマンとか、表現物で生計を立てたいひとをみんな含むとしましょうか。
彼らには「好きなモノを作って、そのうち誰かに評価されて、なんとなくそれで食っていける」みたいな価値感が
彼ら自身はもちろん、世間の印象としてあるじゃないですか。

でもわたしはそれは違うと思っていて、
何にしろ評価されないといけない、注目されないといけない(お金にならない)以上、「そのためにどうすればいいか?」というのを考える必要があって、
そのためには「ただいいもの作ってればいい」というのは相手の立場を考えてない傲慢だよなー、なんて考えていました。

そうすると多分「芸術家は傲慢で、ワガママな生き物だ」とか「俺には音楽しかないんだ」みたいなステレオタイプが出てくると思うんですが、
果たしてそれで結語していいんでしょうか?もっと賢い方法があるんじゃないでしょうか?

……というような考えについて、村上隆さんの本からヒントを得ましたので共有しておきます。

ビジネスセンスは必要

まず冒頭30ページくらいで即述べられています。ビジネスセンスは必要です
村上隆さんはモダンポップアートの雄で、美術製作をフィールドとしていますが、
その場面でもビジネス・マネジメントのセンスが必要であると語っています。

新しいものや新しい概念を作り出すには、お金と時間の元手がものすごくかかります。お金や時間を手に入れられなければ、「他にないものをひきよせるために毎日研究すること」は続けられません。
つまり、ビジネスセンス、マネジメントセンスがなければ芸術制作を続けることができないのです。

同人制作をされている方ならわかると思うですが、
パッケージングにあたって、たとえばジャケットのデザインとか、CDレーベルのデザインとか、
音源だったらどうしても欲しい音を実現するためにプラグインを用意したりとか、
「こだわり」のためには沢山のお金と時間が必要になってくるのは直感的に理解できると思います。

特に村上さんの場合、イラストはもちろん大きなフィギュアなども制作されますので、
同人音屋・同人絵師とは比較にならないくらいのコストが必要でしょう。

また、「作っていく内にコストが膨らんだが、それくらい書けないと本当に表現したいものを作れない」というパターン。
同じく同人作家の方であれば共感されるかと思いますが、これについてもプロの芸術家の視点から淡々と述べられています。

「制作費を出してあげるよ」
とギャラリーが言ってくれたからできた仕事も多いですが、そこに頼りすぎると、経済的なバックアップが止められたら作れなくなるわけで、そこは自分サイドに握っておかなければなりません。
:
(中略)
:
三〇〇〇万円でできるはずが二億円かかった時にも、二億円支払えるようにできる構造を自分で作らないと、最終的には、お客さんがよろこぶ「世界でただ一つのもの」を作る過程が絶たれて、他と似たり寄ったりのものしか作れなくなるのですから。

どうにも絵にしろ音楽にしろ、芸術表現というのは無から何かが生まれるみたいな捉えられ方をするのですが、
冷静に現実を見据えてみますと、当たり前のことですが、元手が必要です。

村上さんの場合スケールが大きすぎてピンと来ないかもしれませんし、
同人制作は個人のスコープでなんとかできる範囲であることがほとんどなので、イメージが湧かないかもしれません。

少なくともプロの場合、評価される表現のためにはたくさんのお金が必要で、
芸術で食べていく以上、自分の手のひらの上でその元手をコントロールする必要がある、ということでした。
サラリーマンが会社の給与に依存していいなりになるパターンがあるように、芸術家もギャラリストに依存すると同じ構造になるわけですね。

同人制作の場合、生計を立てているわけではない以上全く別の話になってくるかと思いますが、
作品が評価されて対価を得て、作品の洗練にフィードバックする、という発想であれば、同じ所があるんじゃないかと思います。

文脈を評価される

村上さんの作品である「マイ・ロンサム・カウボーイ」というフィギュアをご存知でしょうか。

村上隆のフィギュア「マイ・ロンサム・カウボーイ」が約16億円で落札 | next global jungle

たぶん一目見てなんだかよくわからないと思います。ていうか未だに理解できてません。
しかし、非常に高額で取引されています。

これは、作品の表面、造形とかカタチとか色合いを見て評価するのではなく文脈が評価されたからだそうです。

美術の世界の価値は、「その作品から、歴史が展開するかどうか」で決まります。
:
(中略)
:
「ムラカミの理論なんて目茶苦茶だ!」
たまにそう言われることもあります。
そうではないと反論することもできますが、仮にぼくの理論が目茶苦茶だとしても、ぼくのしたことには意味があるのです。西洋美術のどまんなかで日本の美術を文脈の一つとしてゆく入口を作ったのですから。
西洋美術史の文脈に至るまでの入口をどう作るか。それが重要な問題なのです。
:
(中略)
:
大事なのは入口を作ることであり、入口を作った人こそが美術の世界で讃えられるものなのです。

音楽でれば、最近のEDMやDjent、あと異ジャンル混合だとBABYMETALなんかは
既存の音楽に一石を投じるような形式を最初に組み上げた人物が評価されています(Skrillexとか、Periheryとか)。
極端なことをいうとその後ろについてきたのは全部ただの真似なので、最初にやった人より評価されにくくなりますよね。
「ただいい曲である」だけでは埋もれる理由のひとつは、ここにあるのではないでしょうか。

で、それらの「文脈に至るまでの入口」を構成するためには、「なんとなくいいものを作ってれば評価される」というのは明らかに誤りで、
美術にしろ音楽にしろ、これまでの歴史をひもといて徹底的に勉強する必要があるということがわかります。

天才であれば、「なんとなくつくったもの」がその歴史の変化にピンポイントに刺さって評価される、ということになるのでしょうが、わたしたち凡人は「どうするのが良いのか」論理的に判断できるようになるまで徹底的に研究しないといけません。
村上さんもこの本の中で、自身を凡才であるとはっきり述べています。

なるほど、市場分析してイノベーションを起こすという観点で、非常にビジネス的ですね。
これを嫌う人は多分芸術家気質の方に多いと思いますが、やるとやらないとでは全く変わってくるのでぐずぐずしてられないと思います。
だいたい自分で選んだ道なんですから、手段を選り好みして道半ばで倒れるよりか、正しく学ぶ姿勢を見せるほうが健全かなーと思います。

価値を生み出すには?

わたしは歌謡曲っぽいメロディ、キャッチーなサビといった様式が反映されている邦楽のほうが好きなのですが、
これは言い換えると「洋楽には無い価値がある」ともいえます。

美術においてもどうやら日本の文化というのが強みになる箇所もあるらしく、
村上さんの作品は、日本のアニメ・漫画に根ざしたオタクカルチャーをモダンアートに持ち込むという手法を取っています。
そして、日本文化の持つ潜在能力について、このように述べられています。

作品からは一つではなくいくつものセールスポイントを提供できなければなりません。ブランド化できるかどうかはそこが分かれ目だと思うのです。
日本の文化の潜在能力に自信があれば、尚更、まだまだ弱い日本人の伝達能力を磨かなければなりません。「文化の精神性を説明」などと言うとわかりづらくて拒否されるのではないかとわれわれ日本人は思いがちですけど、そういうところを徹底的に伝えることが、案外、現代の美術の世界においては大切な仕事になるのです。

日本の文化を欧米に伝えるには、西洋の味の模倣をするのではなく、日本の味のまま濃くするべきなのです。

これ、びっくりしたんですけど、説明できることが重要なんですね。
「作った!とは受け手が思うがままに感じろ!」というのは、それらの情報がすっぽり抜けてしまうわけです。

たぶん「なんとなくつくる」だとこの部分が薄弱になってきて、「で?他の作品と何が違うの?」というところを見抜かれてしまいます。
そこで、つつかれても「これはこういうことを表現している」と即座に返せるように作品を仕上げなければならない、と。
クラブミュージックのような一見表現と無縁のものだって同様です。EDMが台頭したのは何故でしょう?という話です。

芸術は非論理的で感性に訴えるものであるというのは印象としてあるかと思いますが、
存外、見る・聴く側は論理的に判断してしまうものです。
「なぜ不協和音?」「なぜこの曲順?」などなど。それが伝わったときに聴き手にカタルシスを与えられて、それが価値になるだろうなーなどと考えました。
やっぱり適当に作るとバレますからね。案外。

一方、概念を伝えるのに時間がかかると見た場合は、それをわかりやすい殻で覆うもの手です。
音楽だと「キャッチーで聴きやすい」とかは、裏にどんな凄まじいテーマがあってもまず聴き手を集めるのに効果的ですよね。

例えば、「スーパーフラット」という概念まで見る人が辿りつかなさそうだと思えば、「ポップ」の入口から入れる展覧会にしておくなどというように、一つだけでなくたくさんの入口を用意しておくべきでしょう。
簡単に逃げられない罠や娯楽をしかけておかなければならないのです。

宝を手に入れるために

歴史・文脈に一石を投じるという「宝」を発見するために、村上さんは以下の様な方針を取ったそうです。

  1. 自分の興味がある表現分野の歴史を徹底的に学ぶ
  2. その分野に興味を持ち始めた理由を探す
  3. 究明し終わると興味のある分野かあやうくなっているので、自分の興味のある表現分野がどこにあるのか何度も検証し直す
  4. 興味の検証と歴史の学習を終えると、何をすべきかという地図が見えてくる
  5. 地図を解析する勉强に励み、資金を整えて、宝島を目指して航海を始める

「自分のやりたいこと」と「望まれていること」を照合して何をすべきか考える、といったところでしょうか。
考え方は完全にビジネスのそれです。市場分析と自らの関心と強みが重なるところが商品になる、というやつですね。

「今のロックシーンに欠けているものはこれだ!」と叫ぶバンドは数多く居ますが、彼らの多くは致命的に勉强が足りてません
真面目に「今までにない新しいことをやる」ということがしたいのならば、
冷静に歴史(シーン)を研究して、何が求められているのかなーということをやっていかなければならない、と感じました。

そうなると自ずとやるべきことは見えてきて、作品の出来や技術は前提ないし手段で、もっと別の勉强が要るというのは明らかです。
冒頭で「ビジネスセンスが必要」と述べられていたのは、こういう意味であることがわかります。

怒りが必要

話は変わって、「才能を限界まで引き出す方法」と題された第四章におもしろいことが書いてあったので紹介します。

宮﨑駿さんがバイクで事故を起こしたアニメーターに厳しくなるのも、わかるんです。
「忙しい時に事故を起こすなんて逃げとしか思えない!許せない!責任放棄か!」
一般社会からすれば宮崎さんの方が悪く見えるようなセリフにも、
「目的がわかってないからそういうことになるんだ、と言いたいんですよね」
と、ぼくはうなずきたくなるのです。
「作品のために何でもする」という正義があるかどうかで、結果は変わると思うのです。
怒りや執念や「これだけはしたくない」という反発は、重要ではないのでしょうか。

これ、わたしちょっと共感しちゃったんですが、みなさんはいかがでしょうか。
確かに一般論でいうと宮崎さんの言うことっておかしいんですよ。人権の尊重やら労働法なんかどっかいっちゃってますからね。

ですけど、一般論とかフレームワーク抜きに執念の前にそんな中途半端な撤退が優位に立つのはおかしいってことですよね。
仕事とか趣味とかじゃなしに「やりたいことをやる」という正義の上に立ってるかどうか。それだけだと思います。
で、村上さんは結構苦労されているので、生半可な意志で芸術の世界に立っている人が許せないのでしょう。

ここまで読んできて、前半で「おいおいまじめに考えすぎだろ」とお思いの方もいらっしゃるかと思います。
この温度差はここでどういう感想を抱いたかではっきり二分できるかと思うのですが、いかがでしょうか。

個人的にはそんな中途半端な意志でよく作品をコンスタントに仕上げられるなぁと思っているのですが
意外とみなさん執念なしにゆるーくやることを是とするのが多数派だったりするんでしょうか。

この節で述べていることは「作品のために偏執的になれる理由なき怒りが必要」という話で、
他にも「作品の奴隷になる」という表現を使って、表現に対してどんなに苦しくても真正面から仕上げるバイタリティについて述べていました。
「趣味=ゆるーく」もいいかもしれませんが、わたしは偏執的に作り続ける境地のほうが絶対いいと考えます。

むすび

村上隆「芸術起業論」を読んで感じた、「しっかり評価される作品づくり」において重要なポイントは以下の2つです。

  • 芸術にはビジネスセンスが要る。それは表現には元手が必要で、評価されて対価を受ける必要があるから。
  • 表現物を効果的に世に出すには、文脈・歴史の解析が必要である

これに加えて、わたしは後半で述べられていた「怒り」と「偏執性」についても重要であると考えます。

当たり前なんですが、人間によって運営されている世界である以上、ビジネスのマーケットも芸術の世界も、
人の心理として求めているものは同じで、それがたまたまビジネスの体系に落としこむとわかりやすくなる、というだけなのではないかと思いました。

彼の芸術作品は、つまるところ「オタク文化を再構成して全部論理的に説明できるようにした。美術史のひとつの文脈として昇華した」というところが評価のポイントで、
それは「今までにないもの」であることを突き止めて、美術史という観点で刺さるためにどうすればいいのか徹底的に研究した結果であるといえます。

彼の作品について、わたしは上手く論ずることはできません。でもこれは言い換えると、「わたしはお客じゃなかった」とも言えることなのでしょう。
ターゲット層の想定もまたビジネスセンスの切り口のひとつであると思います。

「注目されないこと」にお悩みの方、冷静に作品を公開するシーンを見つめなおしてみてはいかがでしょうか。

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